(第三章)生命とエントロピー

エントロピー増大の法則

私が子供の頃、母に「どうして人間には36度の体温があるの?」と聞いたことがありました。この質問に対して母は「それは食べたものが体の中でエネルギーになって燃えているからよ」と答えてくれました。私は子供心に、体の中で火が燃えているんだろうか、エネルギーとは燃えるものなのか、と不思議に思ったのを今でも鮮明に覚えています。

上記の質問に対する答えは熱力学を勉強すれば多分わかるのでしょう。しかし、私は大人になった今でも自分が投げかけた質問に答えられません。そのような私ですが、生命とエントロピー増大の法則(エントロピーとは無秩序さや乱雑さの度合いのこと)の関係から「気とは何か」を考えてみたいと思います。なぜなら、エントロピー増大の法則が、生命とは何かを知る手がかりになり、ひいては「気とは何か」を論理的に定義づけられる根拠になると思ったからです。

お気づきのように、この考えは、物理学者であるE.シュレディンガー氏の著書『生命とは何か』(岩波新書)がベースになっています。この著書の中にある「生物体は負のエントロピーを食べて生きている」という有名な文章に触れて、気というものを私なりに理解できたという経緯があります。

エントロピー増大の法則とは、例えば、熱いお湯と冷たい水を混ぜると、ぬるいお湯になり、ゆるいお湯は再び熱いお湯と冷たい水には分離しません。また、ゴムボールを床の上にトントン跳ねさせると跳ねる高さは次第に低くやり、やがてゴムボールは跳ねなくなりますが、跳ねなくなったゴムボールは外部から力を与えない限り、再びひとりでに跳ねだすことはありません。

生きていない一つの物質系が外界から隔離されるかまたは一様な環境の中におかれているときは、普通はすべての運動がいろいろな種類の摩擦のためにはなはだ急速に止んで静止状態になり、電位差や化学ポテンシャルの差は均されて一様になり、化合物をつくる傾向にあるものは化合物になり、温度は熱伝導により一様になります。

そのあげくは系全体が衰えきって、自力では動けない死んだ物質の塊になります。目に見える現象は何一つ起こらない或る永久に続く状態に到達する訳です。物理学者はこれを熱力学的に平衡状態あるいは、「エントロピー最大」の状態と呼んでいます。(『生命とは何か』より)

このように、すべての物質は、秩序のある状態から無秩序な状態へと変わっていこうとする傾向があり、これを熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)と呼んでいます。

尚、同書によると、エントロピーは数式で表せるもので、エントロピー=klogD だそうです。Kはボルツマン定数(=3.2983 X 10-24cal/℃)で、Dは物体の原子的な無秩序さの程度を示す量だそうです。Dという量は、専門的な術語を使わずに簡単に正確に説明することはほとんど不可能と同書でも言っており、既にチンプンカンプンですので、これ以上の引用は止めます。


生物体はエントロピー増大の法則に従っているか

神秘といって過言でない複雑かつ精密、精緻な構造の生物体も、最後には死んで土になります。長い時間のスパンで考えれば、生物体もエントロピー増大の法則に従っているといえます。しかし、生きているときには、生命がない一塊の物質(例えば体を構成するたんぱく質の塊)が同じような条件の下で「運動を続ける」だろうと期待される期間よりもはるかに長い期間にわたってその「運動」が続けられています。

生物体は、急速に崩壊してもはや自分の力では動けない平衡の状態になることを免れているのです。生物体は、生物体の外部の系より「何か」を取り入れて、生物体という秩序が死という無秩序にならないように(エントロピーが急速に増大しないように)、あるいは生物体という系のエントロピーが常に一定に維持されるようにしている訳です。

生きている生物体は絶えずそのエントロピーを増大しています。-あるいは正の量のエントロピーをつくり出しているともいえます-そしてそのようにして、死の状態を意味するエントロピー最大の危険な状態に近づいてゆく傾向があります(注:人間の約60兆個の細胞の内、3,000~7,000億個の細胞が毎日死んでいることを思い出して下さい)。生物体がそのような状態にならないようにする、すなわち生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負エントロピーを絶えずとり入れることです。(『生命とは何か』より)

このことをシュレディンガーは、「生物体は”負のエントロピー”を食べて生きている(It feeds on ‘negative entropy’)」と表現しました。

負エントロピーは、エントロピーに負の符号をつけたものであり、「負のエントロピーを食べて生きている」ということは、負のエントロピーの流れを吸い込んで、自分の身体が生きていることによってつくり出すエントロピーの増加を相殺し、生物体自身を定常的なかなり低いエントロピーの水準に保っていることだとシュレディンガーは説明しています。

では、負のエントロピーは何かという点については、シュレディンガーは、「高等動物の場合には、それらの動物が食料としている秩序の高いものがそれであり、多かれ少なかれ複雑な有機化合物の形をしているきわめて秩序の整った状態の物質が高等動物の食料として役立っている。」と説明しています。


食料は「負のエントロピー」か?

ここからは私の自論です。 まず、人間の物質代謝(あるいは新陳代謝)を整理してみます。人間の体の約60兆個の細胞の内、3,000~7,000億個が毎日死んでいます。すなわち3,000~7,000億個の細胞のエントロピーが増大します。死んだ細胞は便となって体外に排泄されます(便には食べかすだけではなく細胞の死骸も入っています)。増大したエントロピーを外に棄てた訳です。そして新たに3,000~7,000億個の細胞が生まれます。エントロピーの低い(秩序の整った)物質が体内に新たに生まれた訳です。新たに生まれた細胞の原材料は、もちろん食料や空気です。

ここで注意したい点は、細胞の原材料となる食料や空気は秩序の高い物質であり、すなわちエントロピーの低い物質ですが、それは新たに生まれた細胞と同様に「正」のエントロピーが低いのであって、決して「負」のエントロピーではない、ということです。

さらに付け加えますと、食べた食料は、体内で消化という過程を経て、一旦エントロピーが増大します。例えば、食料に含まれるたんぱく質は巨大な分子構造をもった-秩序を構成した-物質ですが、体内に入るとたんぱく質分解酵素によって分子のつながりがバラバラにされ、たんぱく質を構成するアミノ酸まで分解されます。秩序のあるものが分解されるわけですから、エントロピーが増大したと言えます。

呼吸も同じです。空気中の酸素は血液の赤血球の中にあるヘモグロビン分子の鉄原子と反応し、一旦酸化鉄になって体内を循環します。酸化鉄とは鉄が錆びた状態であり、地中に埋蔵されている鉄鉱石と同じです。鉄鉱石は新たな化学反応を起こさずに地中に長年埋蔵されている平衡状態の物質ですので、エントロピーの高い物質です。

以上の様に、人間は確かに秩序の高い物質(食料、空気)を取り入れはしますが、人間の細胞に生まれ変わる前に、体内で一旦エントロピーが増大した物質に変換しているのです。

以上をまとめると下記の様になります。

1)エントロピーの低い物質(食料、空気)を体内に取り入れ、
2)それらを一旦エントロピーの高い物質(アミノ酸、酸化鉄など)に変換し、
3)次にエントロピーの低い物質(人間の細胞)に変換する。
4)やがて細胞は死に(エントロピーが増大し)、増大したエントロピーを
  体外に排出する。

尚、先程説明した通り、食料も空気も「正」のエントロピーであり、上記のプロセスは全て「正」のエントロピーでの世界です。


”負のエントロピー”は何か

上記の様に、人間は、秩序の高い食料を、一旦わざわざエントロピーの高い物質に置き換えています(牛肉を食べて人間の筋肉が牛の筋肉になったら困りますから!)。シュレディンガーは、「一定のかなり高い水準の秩序状態(かなり低いエントロピーの水準)に維持している仕掛けの本質は、実はその環境から秩序というものを絶えず吸い取ることにあります。」と述べていますが、その「吸い取っている秩序」は食料や空気とは別のものではないか、という疑問が出てきます。

たんぱく質で言えば、アミノ酸を人間のたんぱく質に合成する「力」が、アミノ酸の系の外部よりアミノ酸の系の内部に働いて、人間の細胞を構成するたんぱく質を合成していると考えることができます(エントロピー増大の法則は、閉鎖系の中での法則ですので、開放系ではエントロピー増大の法則は適用されません)。

では、アミノ酸の系の外部から働いて人間の細胞を構成するたんぱく質を合成する「力」は、「別のアミノ酸」でしょうか? 「別のアミノ酸」がその力の元であるとすると、「力」として使われる際には、「別のアミノ酸」は、アミノ酸よりもエントロピーが増大した(秩序が低い)エネルギーになって消費されます。 そうであれば、そのエントロピーの増大したエネルギーで、人のたんぱく質という秩序の高い(エントロピーの低い)物質をつくることは無理と思います(※)。

(※食べ物によっては、「生命力を感じる食べ物」というのは確かにありますが、食べ物に宿る生命力については、話が混乱するのでここでは触れないことにします。)

遺伝子はアミノ酸をたんぱく質に合成する設計図です。しかし設計図は「情報」であって「力」はないはずです。人間には約200種類の細胞がありますが、例えば、あるアミノ酸がなぜ胃の種類の細胞になって胃になり、なぜその胃の細胞は、腸の位置ではなくて間違いなく胃のあるべき位置にできるのか、どのように遺伝子情報が制御されているのか、現在の分子生物学では明らかでありません。

上記のように「別のアミノ酸」に遺伝子情報を制御する「力」があるとは考えられませんし、そうであれば結局、制御する「力」とは、体の外から取り入れる、エントロピーにマイナスの符号をつけた「負のエントロピー」以外にないのではないか、ということになります。

もう一度、人間の物質代謝(新陳代謝)のプロセスを細胞が死んで体外に排泄するところから説明します。

  1)細胞が死ぬ。
    = 人間の系のエントロピーが増大する。

  2)死んだ細胞を体外に排泄する。
    = 増大したエントロピーを体外に棄てるので、人間の系の
      エントロピーは減少したように見えるが、細胞を棄てた分だけ
      体の「秩序」がなくなるので、結局エントロピーは増大する。

  3)食料を体内に取り入れて消化し、「人間の細胞の素」をつくる。
    = エントロピーの高い物質を体内に入れるので人間の系の
      エントロピーはさらに増大する。

  4)消化した食料を吸収し、「人間の細胞の素」を体内に巡らす。
    = エントロピーは上記3)と同じレベル。

  5)負のエントロピーを体内に取り入れて、「人間の細胞の素」を
    人間の細胞に合成する。
    = 人間の系のエントロピーは減少し、秩序が回復・維持される。

以上の考え方によって、上記1)の前段階と5)の段階の正のエントロピーの値は等式で結ばれ、シュレディンガーの言う「一定のかなり高い水準の秩序状態(かなり低いエントロピーの水準)」が維持されます。

つまり、「気」とは実は負のエントロピーのことであり、負のエントロピーのことを「気」と呼んでいる、ということです。

病気の体や疲れた体を健康な状態に引き戻す「生命力」という言葉は、エントロピーの水準が高い病気の状態から、健康体というエントロピーの低いところに持っていく力を指すので、「気」とほとんど同じ概念と言えるでしょう。 むしろ生命力のことを気と呼ぶと言った方がわかりやすいかもしれません。

そして、気も生命力も、それらは元々は体内にあるものでなく、体の外部から取り入れているものであることになります。


「健康」という秩序を維持する為には、また病気を治し健康になる為には

「負のエントロピー = 気(生命力)」の考え方を導入することによって、健康という秩序ある状態を維持する為には、また健康でない病気の状態から健康な状態になる為には、どうすれば良いかが明らかになってきます。 下記の3点がエントロピーの水準を低くするポイントとなります。

 -増大した正のエントロピー(毒)を絶えず体外に棄てる
 -体内に取り入れる正のエントロピー(食料)は必要最小限にする
 -負のエントロピー(気、生命力)を絶えず体内に取り入れる

「冷えとり」健康法では、増大したエントロピーを「毒」と表現し、その毒を体外に棄てることを「毒出し(デトックス)」と表現しています。

以上から毒出し(デトックス)の大切さがおわかり頂けると思います。毒とはダイオキシンや重金属だけを指すのではありません。人間が生命活動を続けている限り、常に部分部分ではエントロピーが増大しており、健康(秩序)を維持するためには体内で発生する毒、即ち「壊れた秩序」、を絶えず体外に棄てる必要があるのです。肥満脂肪や腫瘍は、本来体外に排出すべきエントロピーが体の中に溜まって出来たものといえましょう。

そして、新陳代謝を活発化させ毒を積極的に棄てる方法として考案されたのが、絹や綿の5本指ソックスの重ね履きであり、半身浴です。

二番目のポイントは食べ過ぎない、小食にするということです。 この点については別のコラム「よく噛んで食べる」をご参照下さい。

三番目の、負のエントロピーを体内に積極的に入れる方法は、気功であったりヨガであったり瞑想であったり合気道であったり、色々あると思います。 ご自分に合うものを探して行われると良いと思います。

5本指靴下の重ね履きや半身浴によるデトックスは、気を取り入れる助けになっていることも覚えておいてください。

気、生命力(負のエントロピー)をたくさん体内に取り入れた方が体全体のエントロピーの水準が低くなって健康体になります。負のエントロピーを取り入れることによって、また同時に毒を体外に棄てることによって、エントロピーの水準が低くなり、体の秩序が回復して病気が治り、健康体が維持されるという理屈です。

なんとなく「気」という言葉を普段使っていますが、「冷えとり健康法」と小食(かつ、よく噛んで食べる)を実践し、更に「気」も積極的に体内に導入して、病気を治し、健康を増進して頂ければと願っております。(2005/05/14)

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